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富山地方裁判所 昭和41年(ワ)47号 判決

原告 竹内喜一

同 竹内重野

右両名訴訟代理人弁護士 松波淳一

被告 高柳重信

同 高柳裕

右両名訴訟代理人弁護士 小池実

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告ら)

被告らは、原告竹内喜一に対し金四六四万円、同竹内重野に対し金三六万円およびこれらに対する昭和三八年四月一一日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

(被告ら)

主文と同旨。

第二、当事者の主張

(原告らの請求の原因)

一、被告らはいずれも医師であり、肩書地において共同で高重医院を経営しているものである。但し、院長は被告高柳重信(以下「被告重信」と称する)である。

二、本件診療事故の経過

1 原告竹内喜一(以下「原告喜一」と称する)は、昭和三八年四月一〇日午後五時頃腰の痛みを感じたので、仕事をやめ、徒歩で通りがかりの右高重医院を訪れ、被告高柳裕(以下「被告裕」と称する)に対し腰痛を訴えて診療を求めたところ、同被告はこれを承諾し、原告喜一および被告らとの間においてここに診療契約(以下「本件診療契約」と称する)が成立した。

2 ところが、被告裕は、特に何らの診察をすることなく、「注射すれば直る」と言って、直ちに原告喜一を長椅子の上に体をまるめて側臥位にさせたうえ、いきなり腰椎部(第二、第三腰椎間)に二・五ないし三寸位の長さの注射針を突きさした。同原告はその瞬間電激痛を感じて「痛い」と叫んだが、同被告はこれを無視して、更に針を進入させたため、同原告は脚部にビリビリと電気が流れたようなショックを感じ、まげていた足がつっぱった。それにも拘らず、同被告は薬液を注入したので、同原告は臍のあたりから足先にかけて生ぬるい湯が音をたてて流れ落ちるように感じた途端、下半身の感覚がなくなり動かなくなってしまった。同原告は驚いて、「どうしてくれた」と問詰すると、同被告は「弱ったわい」と立ちすくんでいたが、やがて同原告の家族に連絡する一方、同原告が悪寒を訴えるので血圧を測り、また脚部を注射針で刺してみたが何の反応もなかった。そこで、同原告はそのまま高重医院に入院したが、翌朝に至り排尿も不能となり、下半身は完全に麻痺した(以下「本件事故」という)。

3 その後、原告喜一は被告らの懇願により同月一九日西能病院に転院し、同月二二日同病院において椎弓切除術を受け、昭和四〇年三月二九日まで同病院で入院治療を受けてきたのであるが、本件事故後三年を経過しても右麻痺は回復せず、労働はもちろん、日常生活における起居、歩行、排便すら一人では行えない状態であったし、八年を経過した今日においても杖なしには歩行しえない状態である。

三、本件事故の原因

原告喜一の下半身麻痺は、被告裕のなした腰部注射に基因するものである。被告らは、原告喜一の下半身麻痺の原因は注射によるものではなく静脈瘤または脊髄出血である旨主張するけれども、次の理由により注射の誤まりによるとするほか本件麻痺の原因は考えられない。すなわち、

1 原告裕は外科医であって各種の鎮痛剤を有しているところ、本件において、同被告が被告ら主張のような一パーセント塩酸プロカイン溶液を注射したという証拠はカルテ以外になく、しかもカルテの記載の場所、体裁等から判断して、後日空白部に追加して記入した疑いが極めて濃いものであるから、右のプロカイン以外の鎮痛剤を注入した可能性が極めて高い。

2 被告らは三センチの通常の針で注射をした旨主張するが、これは原告喜一の記憶に反している。

3 麻痺は注射の直後に生じているが、脊髄出血が同じ時刻ころに生じた可能性は極めて少ない。

4 被告裕は注射の後に「弱った」ということばをはいている。

5 同被告はカルテに記載した診断名に自信がなく、西能病院に転院させたり、診断名を改めたりしている。

四、被告らの責任

1 第一次的主張―債務不履行責任

(一) 原告喜一は、前記のとおり被告らとの間で本件診療契約を締結したが、右契約は腰痛症状の治療をする旨の準委任契約であると解すべきであるから、被告裕は債務の本旨に従い善良なる管理者の注意義務をもって、その債務を履行すべき義務があった。しかるに、同被告は次に述べるとおり右注意義務を懈怠した。

(1) 原告喜一は、被告裕が同原告の腰椎部に二・五ないし三寸の注射針を刺入したときに、脚部に電気が流れたようなショックがあり、足がつっぱねたのであるが、この症状は注射針が硬膜を破って脊柱管の内部に入ったことを示すのに外ならないから、この場合はその注射を続けることをやめ、他の部位でやり直すか麻酔の方法を変えるべきであるのに、同被告はこれをしなかった。

(2) 仮に、本件注射が被告ら主張のように三センチの針による局所麻酔であったとしても、その方法は旁脊椎腰髄神経ブロック法(枕を入れた伏臥位とし、刺入点が棘突起から四センチ横で垂直に約三センチのところにある横突起につき当るまでの深さに挿入し、そこで皮膚上三センチの針の部位に印をつけ、針を皮下まで抜き、その次に垂直面で二五度、水平面で二〇度の角度に針のむきを変え、針につけた印のところまで刺入して薬液を注入する方法)および旁脊椎交感ブロックとしての腰部ブロック法(針の刺入点を棘突起五センチ横とし、針につける印を皮膚から五センチとするものであり、角度は腰髄神経ブロック法と同一の方法)しか考えられないものであるところ、前者については針先が頭方に向くと硬膜を破り、後者についても硬膜穿刺、くも膜下腔注入の危険があって、いずれにせよ、腰部、脚部神経麻痺の偶発症が起ることは夙に指摘されているのであるから、注射を受ける者が下肢に放散性疼痛を訴えたときは、他の部位で注射をやり直すか、または麻酔の方法を変えるべきであるのに、本件において被告裕はこれをしなかった。

(3) 仮に、脊髄を損傷しなかったとしても、被告裕は誤って他の薬品または不純な自家製の薬品等不適当な薬品を一回に注入した。

(4) 仮に、右のような事実がないとしても、被告裕の注射の方法が不手際であったため、原告喜一に苦痛を与え怒嘖を生じさせて症状を悪化させた他、その後の手当も十分ではなかった。

(二) 右に述べたとおり、被告裕の本件債務の履行が不完全であったため、原告喜一の下半身が完全に麻痺するに至ったのである。

2 第二次的主張―不法行為責任

(一) 被告裕はプロカインの他各種の鎮痛剤等を有し、また塩酸プロカイン溶液は自家製であって、誤って塩酸プロカイン溶液以外の鎮痛剤や不純なプロカインを用いることもあり得る他、注射の際に消毒不完全な注射針を用いたりすることもあり得るのであるから、治療のための注射に際しては、注射器具、注射部位、施術者の手指等の消毒を完全にし、注射薬の選定に当ってはその品質、注入量を確認するのは勿論、誤って他の薬品や不良品等を用いないようにし、また注入に当っては安全部位以外に行わないように注射部位を選定し、慎重に挿入のうえ神経線維を傷つけないように配慮し、まず最少量に試み反応をみて増量するなどすべき注意義務があるのにこれを怠って、原告喜一に対する腰部注射の際に、慢然と塩酸プロカイン溶液以外の薬品または不良の塩酸プロカイン溶液を注射液にするか、または消毒不完全な注射針を用いて本件注射をした過失がある。

(二) 仮に、被告裕において右のような過失がないとしても、腰椎部に注射をする際には脊髄を損傷し、運動障害、知覚障害を惹起することが予想されるのであるから、注射の部位として脊髄を損傷するおそれのない第三、第四腰椎間を選ぶなどして右のような障害を生じたりすることのないようにすべき注意義務があるにもかかわらず、本件において、被告裕は原告喜一の腰部注射をなすに際し、もっとも危険な第二、第三腰椎間を注射の部位として選び、慢然と注射針を刺入し、そのために同原告の脊髄に損傷を与えた過失がある。

(三) 以上のとおり、原告喜一の下半身麻痺は被告裕の注射時の過失に基因するものである。

3 しかして、被告重信と同裕とは共同経営者であって、両者間には組合類似の契約が存すると解すべきであるから、両被告において、民法六七五条に基づき本件事故によって生じた損害額の二分の一宛賠償すべき責任がある。

五、損害

1 原告喜一は、生来健康体であったが、本件事故により次のとおり損害を蒙った。

(一) 逸失利益 三六四万円

原告喜一は右注射の当時、五二才一一ヵ月であったが、平均余命年数表(厚生省第一〇回)によれば、爾後二〇年は生存可能であり、うち少なくとも一〇年は就労可能であるとみるべきところ、最低限五五才までは従前通りの労働が可能であり、五五才から六二才一一ヵ月まではなお従来の半額の収入を得る程度の労働は可能であった。しかるに、同原告は、本件事故により労働能力を完全に喪失したため、将来の労働によって得る筈であった利益を喪失し、同額の損害を蒙った。その収入は、五五才までは一ヵ月五万円を下らず、五五才以降六二才一一ヵ月までは一ヵ月二万五〇〇〇円を下らなかった筈であるから、右得べかりし利益をホフマン式計算法により各年毎民法所定年五分の利息を控除して算出すると、五五才までの合計額は一六四万七〇〇〇円、五五才より六二才一一ヵ月までの合計額は一九九万三〇〇〇円、以上合計三六四万円となる。

(二) 慰藉料 一〇〇万円

原告喜一は、本件受傷により廃人同様となり、過去はもちろん将来も筆舌に尽し難い精神的苦痛を受け、これに耐えてゆかなければならない。この苦痛を慰藉するには一〇〇万円をもって相当とする。

2 原告竹内重野(以下「原告重野」と称する)の慰藉料 三六万円

原告重野は、原告喜一の妻であるが、それまで健康であった夫を、本件事故により廃人同様にされたために蒙った精神的苦痛を慰藉するには、少なくとも三六万円をもって相当とする。

六、よって、被告らは原告喜一に対し四六四万円、原告重野に対し三六万円およびこれらに対する昭和三八年四月一一日より完済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるので、原告らは被告らに対しこれが支払いを求める。

(請求の原因に対する被告らの答弁および主張)

一、請求原因一の事実は認める。

二、1 同二1の事実中、原告喜一が原告ら主張の日時頃高重医院を訪れ、腰痛を訴えて診察を求め、被告裕がこれを承諾して本件診療契約を締結したことは認める。腰痛を感じて仕事をやめたことは不知、その余の事実は否認する。

2 同2の事実中、被告裕が原告の腰部に注射したこと(部位および回数については争う。)、注射の後同被告は同原告を入院させることとして同原告の家族に連絡したこと、翌朝に至って排尿も不能となり同原告の下半身が完全に麻痺していることが判明したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

3 同3の事実中、原告喜一が昭和三八年四月一九日西能病院へ転院し、同月二二日椎弓切除術を受け、同四〇年三月二九日まで同病院で入院治療したことは認めるが、その余の事実は否認する。

4 原告喜一が高重医院を訪れ、診察および注射を受けたときの状況およびその後の経緯は次のとおりである。

(一) 原告喜一は、原告ら主張の日午後五時頃、自転車乗車中、突然、胸内苦悶、呼吸困難および腰部両大腿部のしびれを感じたため、高重医院を訪れるに至ったのであるが、同原告は顔面蒼白の状態で自動車で来院し、歩行は両下肢に力が入らないため困難であったので、看護婦の介助を受けて漸く診察室に入室し、腰部から大腿部にかけて激痛を訴えていた。そこで、被告裕は直ちに看護婦の介助を得て、同原告を診察室の寝台に寝せて仰臥位とし、血圧を測定したところ、最高値、水銀柱二二〇ミリメートル(以下「水銀柱」を省略し、単にミリメートルのみで表示する)、最低値一二〇ミリメートルで高血圧を示していた。また腱反射は亢進しそれから消失した。その後に、看護婦に命じて同原告を伏臥位にさせたが、同原告が激痛を訴え続けるので伏臥位の姿勢で激痛をとめるため、同被告は普通の注射針(三センチのもの)を用いて、第二、第三腰椎間の高さ、腰椎棘突起より両側へ約四センチの圧痛点二ヵ所の深さ約二センチの筋膜下に、一パーセントの塩酸プロカイン溶液を二・五CCあて局所注射したところ、痛みは消失したが、両下肢のしびれ感はそのままで歩行は不能、やや興奮状態であったので、原告喜一の家族に連絡のうえ、精密検査の目的で入院させた。そして入院後、直腸、膀胱障害があるため導尿、膀胱洗滌および浣腸に配慮し腰椎穿刺による脳脊髄液検査、腰椎X線写真撮影、血液梅毒検査、赤沈検査、尿検査等を施行した。血圧は降圧剤使用により同三八年四月一三日には、最高値一六〇ミリメートル、最低値九〇ミリメートルとほぼ正常値に降下した。しかし、これらの検査結果からは同原告の両下肢麻痺等の症状を説明しうる診断の決め手がなく、「腰髄出血による両下肢麻痺の疑診」として同被告が施した治療によっても、何らの効果がなかった。

(二) そこで、被告裕は同年同月一八日夕方、原因を究明するため、整形外科医西能正一郎医師の対診を求めた。同医師は原告喜一を診察の結果、椎弓切除術の必要があるという意見であったので、同原告も納得のうえで、翌一九日西能病院へ転入院した。同病院に入院後、脊髄造影術、レントゲン所見により造影剤が患部に停留していることが判明したので、同月二二日、西能医師の執力で椎弓切除術が行われ、被告裕もこれに立会ったが、手術所見は「第四、第五腰椎間硬膜外静脈瘤」であった。

(三) その後、原告喜一の麻痺は次第に軽減し、昭和四五年四月には、歩行は「杖なしで可能だがあまり上手ではない」という程度、排泄は「小便を自分で出そうと思って出るまでに時間を要するが、自分の意思で出せる」程度に回復し、更にリハビリテーションをすることによって一層回復しうる状態にまでなった。

(四) 以上、述べてきたところから明らかなように、被告裕は原告ら主張のような注射をしたことはない。原告喜一は同被告が診察室において二・五ないし三寸の長さの注射針で同原告の第二、第三腰椎間部分に注射をしたと主張するが、これは同原告の記憶の誤まりである。二・五ないし三寸の注射針とは腰椎穿刺針のことだと考えられるが、この針は診察室には置いてなく、手術場の機械台の中に保管しているのであるから、初診時に診察室でこの穿刺針を使用するはずはないのである。同被告が腰椎穿刺をする場合は、この注射針を改めて煮沸滅菌消毒のうえ、手術室か病室のみで行うのである。しかも煮沸滅菌消毒は沸騰してからでも一五分間はかかり、その前後にも消毒の操作の時間が加わるのであるから、時間的、場所的に診察室でこれを行うことはあり得ないことである。したがって、同原告が診察室での注射の際に感じたという電撃痛およびそれに続いて起ったという「臍から下へ生ぬるい湯が音を立てて流れ落ちるような感じ」もあり得ないことであるし、同原告自身電撃痛を訴えたりしていない。同原告は、入院後の腰椎穿刺の際に感じた電撃痛を診察室での注射の際に感じたものと感違いしているとしか考えられない。なお、腰椎穿刺の際の痛みは馬尾神経に触れたときのものであろうが、馬尾神経に触れたとしても、同被告の手腕をもってすれば、何らの危険もなかったのである。また、同原告が西能病院へ転院するについて、被告らが同原告に懇願したようなことはなく、ただ、被告らとしては下半身麻痺の原因が不明であったが、一応脊髄出血ないし脊髄の病気が考えられたので、自己の専門外の病気について専門医の診察を求めるべく、同原告の了解を得たうえで、整形外科専門医である西能医師に診療を委せたのであって、医師として当然のことをしたまでである。

三、同三の原告喜一の下半身麻痺の原因は被告裕の行った注射によるとの主張は否認する。

すなわち、右注射以前から同原告には弛緩性麻痺が生じていた(カルテの記載によれば腱反射亢進後これが消失していることから明らかである)のである。本件下半身麻痺の原因は次に述べるとおり、静脈瘤による神経への圧迫麻痺か、脊髄出血かのいずれかであって、被告裕の腰部注射によるものではない。

1 原告喜一の本件麻痺は被告裕の腰部注射によっては起こり得ない。

腰部注射に関しては、

「(イ)塩酸プロカインが傍脊柱部皮下筋膜部筋肉内に注射された場合、恒久的な下半身麻痺を来すことはあり得ない。(ロ)塩酸プロカインが傍脊柱脊髄神経根部に注入されたとしても同様である。(ハ)もし、塩酸プロカインが脊髄腔内に注入されたとすれば、一時的な下半身完全麻痺を来すが、一ないし二時間の後に回復するはずであり、永続的な麻痺を来す可能性は極めて少ない。(ニ)不適当な薬品が脊髄腔内に注入された場合には永続する下半身麻痺を来す可能性がある。(ホ)注射針が第一腰椎高位より頭側で、直接脊髄円錐より上方の脊髄実質内に刺入された場合に脊髄が損傷される可能性はある。ただ単なる針の刺入のみではたとえ起こるとしても、部分的な麻痺にとどまり、永続的な完全麻痺は針刺入のうえ、更に破壊的な操作が加わった場合にのみ可能性がある。(ヘ)腰椎穿刺には通常この目的のために作られた腰椎穿刺針が用いられる。これは特に腰椎穿刺を行いやすくするための長さ、太さ、強度を備えたものであり、普通の三センチ程度の注射針では作為的に穿刺を行っても硬膜部に達せしめることは不可能である。(ト)脊髄実質の存在する第一腰椎高位より頭側では脊柱の椎弓間部が著明に狭くなり、穿刺は通常行いがたく、特に原告喜一のレントゲン所見では、第二腰椎より高位の椎弓間部は著しく狭く、たとえ腰椎穿刺針を用いたとしても経皮的にこれを刺入することは容易ではないと考えられる。(チ)腰部への注射刺入による下肢への放散痛は、傍脊柱部へ刺入した針が比較的小さい神経枝に触れた場合にも起こり得ることであって、必ずしも脊柱管内に針先が到達した証拠とはならない。」

以上のことが言えるのであるが、このことから腰部注射が原因で下半身麻痺を来し得る条件としては、

「(ⅰ)少くとも腰椎穿刺針程度の長さの針を用いて、ほぼ正中線に近い部位より刺入して馬尾神経部に刺入し、かつ不適当な薬物を注入した場合、(ⅱ)右(ⅰ)と同様の針を用いて第一腰椎高位より頭側の脊髄実質内に刺入し、ここに同様の薬物を注入するかもしくは針先で脊髄実質を著しく損傷した場合、(ⅲ)右(ⅰ)と同様の針を用いて、適当なプロカインが誤って脊髄腔内に注入され、かつ患者が既に重大な中枢神経系疾患を有していた場合、」

のいずれかということになる。右の場合はいずれも全く起こり得ないということではないが、通常腰部圧痛点注射として常識ある医師により広くかつ頻回に行われている注射方法をもってしては、起こる可能性は極めて少ないといわなければならない。しかして、被告裕の場合、注射針がまず約三センチのものであったことおよび薬品が適切な塩酸プロカインであったことから、脊髄実質を著しく損傷したり、薬液が脊髄腔内に注入される余地はなく、したがって、前記(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)いずれかの条件を満す可能性はなかったというべきであるから、原告喜一の本件麻痺は被告裕の腰部注射によるものではない。

2 静脈瘤について

原告喜一は本件事故以前から腰痛とともに大腿部のしびれ感があったため、少なくとも昭和三七年八月八日から同三八年一月二九日に至るまでの間、野島重治医院において、急性胃炎、左側肋間神経痛、肩部、腰部筋肉リウマチ等の傷病名をもって治療を受けていたのみならず、同三七年一月から同年暮ころまで四回にわたって傷病手当の支給を受けていたことがあり、高重医院を訪れたときは既に麻痺があったので看護婦の介助で漸く入ってきた程であり、血圧も最高二二〇ミリメートル、最低一二〇ミリメートルと高血圧を示しており、転医した西能医師も切開手術の結果静脈瘤の存在を確認しているなど、静脈瘤による圧迫麻痺を示す事実が多いのに対し、被告裕によってなされた注射の方法には、先に述べたとおり何らの危険性もなく安全であるから、右注射によって麻痺が起こるはずもない。したがって、原告喜一の本件下半身麻痺は静脈瘤による神経への圧迫が原因である。

3 脊髄出血について

知覚および運動がほぼ同じ脊髄高位以下で障害された場合、これは何らかの原因による脊髄横断麻痺であることは第一に想起すべき医学的常識である。横断麻痺は脊椎カリエスによる病変による圧迫、横断性脊髄炎等により、慢性あるいは亜急性に発症するが、急激にこれが発症する場合としては、脊髄骨折等の外傷に伴う脊髄損傷の場合があり、外傷の機転が否定される場合には脊髄出血が先ず第一に疑われるべき疾患である。すなわち、腰痛あるいは胸痛等の疼痛を前駆症状として下半身の知覚、運動麻痺が急性に発症し、意識は明瞭で特に発熱等の前駆のない場合には、患者の年令、血圧等を考慮のうえ、脊髄出血が取上げて考えられるべきであり、したがって、急を要する処置に際してこの診断名のもとに治療を行うことは適切な処置であると考えられる。障害の部位が上部腰髄であるか胸髄であるかは知覚運動麻痺の上界の位置により判断すべきである。これを本件についてみるに、来院当時、原告喜一は腰背部に激痛を感じ、顔面蒼白、胸内苦悶などの自律神経失調症状があったこと、脊髄液がキサントクロミーを呈してはいなかったが顕微鏡的には軽度の血性髄液であったことの外、2これに述べた諸症状および原告喜一の年令、血圧等も考慮すると、同原告の本件下半身麻痺は脊髄出血が原因であると考えられる。

四1(一) 同四1(一)の事実中、被告裕が本件診療契約に基づいて債務の本旨に従い、善良なる管理者の注意義務をもって債務を履行すべき義務があったことは認めるが、注意義務懈怠があったとの点は否認する。この点について次のとおり主張する。

(1)において、原告らは原告喜一の脚部に電気が流れたようなショックがあり、足がつっぱねたときにその注射をやめるべきであった旨主張するが、この点については先に述べたとおり、被告裕が塩酸プロカイン溶液を注射したときには電撃痛など全くみていないのであるから、このことを前提とする原告らの主張は理由がない。

また(2)において、原告らは被告裕が第二、第三腰椎間に局所麻酔をした旨主張するが、右部位に注射したことはなく、また局所麻酔ではなく局所注射である。なお、第二、第三腰椎間は注射部位としては脊髄円錐がないので、それ程危険ではない。更に、原告らは局所麻酔の方法として旁脊椎腰髄ブロック法と旁脊椎交感ブロックとしての腰部ブロック法以外は通常ない旨主張するが、否認する。他に第三腰椎棘突起から二―三横指外側の両側に強い圧痛点があるから、その部位にビタカイン、一パーセント塩酸プロカイン溶液などを局所注射する方法があり、被告裕は開業以来原告ら主張のような神経ブロック法など行ったことがないのであるから、原告ら主張のような危険が起こる筈がない。

(3)、(4)の事実は否認する。被告裕は注射器具、注射部位、手指等の消毒を完全にし、注射薬の選定に当っても他の薬品や不良の薬品を用いたことはなく、また、塩酸プロカイン溶液を自家製造するときは細心の注意を払って製造するのであるから、不純なものは作っていないし、市販のものと異なりアドレナリンは入っていない。原告喜一の注射に当っても、その後の手当についてもできるだけのことを十分にしたのである。

(二) 同(二)の事実は否認する。

2 同四2の不法行為責任は否認する。

3 同四の事実は否認する。被告重信は高重医院の院長であったが、医療行為は被告重信と同裕とでそれぞれ独自に行っており、原告喜一に対する診療に被告重信は全く関与していないのであるから、同被告において損害賠償責任を負ういわれはない。

五、同五の事実はいずれも否認する。

(本件事故の原因についての被告らの主張に対する原告らの反論)

被告らは、本件麻痺の原因は被告裕のなした腰部注射によるものではなく、静脈瘤によるものか、あるいは脊髄出血によるものである旨主張するけれども、次に述べるとおり、本件麻痺の原因が右のいずれかであるとは考えられない。

1  静脈瘤について

被告らは、本件麻痺の原因は静脈瘤によるものであり、従前から感じていた腰痛も右静脈瘤に基因する旨主張するが、麻痺、静脈瘤、従前からの腰痛相互間に因果関係はない。

すなわち、従前の腰痛が静脈瘤によるものであれば、当時から下肢の動き、排尿、排便に影響が出るのが自然であるのに、原告喜一にはそのような病歴は一切ない。また、同原告はもともと高血圧というほど血圧が高くはなかった。被告裕は同原告の下半身麻痺後はじめて血圧を測定したものであり、同原告の血圧を高いと記録したのもそのときのみである(なお、静脈瘤が存在しても、それにより極めて短期間に非可逆性の完全麻痺を来すとは考えられない)。同原告の血圧は注射後高くなった筈であるが、仮に注射前から高かったのであれば、被告裕が同原告の高血圧のときに麻酔をしたことが問題とされなければならない。医書によれば高血圧のときに麻酔をすることは禁忌とされ、術者の技術、管理方法でカバーすべきものとされているからである。更に、本件麻痺が被告らの主張する静脈瘤による圧迫によって生じたものであるとすれば、麻痺の形態はいわゆるブラウン・セカール氏半側麻痺にとどまる筈であり、一対の神経全部を麻痺させるとは考えられないし、また、静脈瘤による圧迫は、血圧が上っている期間に限られるのであるから、前述のような僅か一、二日の血圧上昇により下半身全部が麻痺し、数年にわたる後遺症が生ずるとは考えられない。運動障害、知覚障害等は脊髄の損傷部位によって決まるものであるところ、本件において、被告らは原告喜一の脊髄の損傷部位は第四、第五腰椎間であると主張するのであるから、本件のような、いわば血腫に比すべき静脈瘤の圧迫によっては、その部位の腰神経第四、第五腰椎の支配領域の障害に止まる筈のものであり、下半身全部の障害が生ずることはないのである。なお、原告喜一の麻痺の回復についても椎弓切除術は全く無意味であって、本件事故後三年余にしても麻痺はほとんど回復していなかったし、自然的回復に依る以外にないのである。この点からしても、静脈瘤が麻痺の原因であるとの主張は成り立たないものである。

2  脊髄出血について

被告らはまた本件麻痺の原因は脊髄出血によるものである旨主張するけれども、以下に述べるとおり、麻痺は脊髄出血に基因するものではない。

すなわち、古来、医学書によれば、脊髄出血は頗る稀有とされ、今日においても脊髄出血は脳卒中に比し極めてまれな疾患であるとされているが、その脊髄出血の原因の多くは外傷であって、人によっては「九〇パーセントを外傷が占める」とさえ言われている。つまり、その原因のほとんどが外傷による出血であって、それ以外のものは極めて稀な病気なのである。それ故、よほどの裏付けのない以上、軽々しく脊髄出血と診断すべきではないと警告されており、外傷等の原因が明確であることが前提条件とさえされているのである。しかるに、本件において、原告喜一の下半身麻痺の原因を脊髄出血とするには、何ら外傷等の原因が明確でない。更に、脊髄出血があれば、急激な激痛が生ずるが、その部位は「出血の部位」である。しかして、一般に脊髄出血という場合は、脊髄内(脊髄実質)の出血と脊髄管腔への出血に分類しうるが、もし、ここでの脊髄出血が脊髄実質内での出血というのであれば、脊髄実質は脊髄管(脊柱)よりはるかに短かいから、腰髄上部の存在するのは腰椎の部位ではなく胸椎のほぼ中央部であって、疼痛も腰部ではなく背部に生ずる筈であるのに、本件では背痛の事実は全くない。また横断麻痺を生ずるような脊髄実質内の大出血であれば、その中央部の灰白質部への出血が当然考えられるのに、灰白質内への出血を示す発赤、発汗、腹部膨満などの著明な自律神経徴候は本件において全くみられない。脊髄液が血性またはキサントクロミーを呈したこともない。もし、ここでの出血が脊髄実質ではなく脊髄管腔の腰椎上部で生じたというのであれば、髄液は明らかな血性を呈する筈である。しかるに、本件麻痺後ほどなく腰椎上部から採取した髄液は、外見上異常がなく透明で混濁もなく、血性の着色もキサントクロミーもなかったのである。このようにみてくると脊髄出血を鑑別させる資料を全く欠いているものといわねばならない。ちなみに、本件において髄液検査の結果一立方ミリメートル中に三〇個の赤血球が報告されているが、この程度の数字では、採液時に微細な毛細管をいためた場合ですら出血の可能性があるのであるから、これをもって脊髄内に出血のあった証左とはならないのである(成書によれば、肉眼内に見える程度の血性をおびるには一立方ミリメートル中三六〇個以上の赤血球が必要とされているから、髄液が血性である場合とくらべて極めて少ない数字である)。しかも、原告喜一の血圧は「一五二~九〇ミリメートル」程度であったもので、これは正常の上限いっぱい程度にすぎず、脊髄出血の可能性ありとして考慮されるべき年令、血圧とは到底いえないものである。

(本件事故の原因についての原告らの反論に対する被告らの再反論)

1  静脈瘤について

原告らは、原告喜一は従来血圧が高くはなかった旨主張するが、同原告が高重医院に来院し、被告裕が同原告にブロカイン注射をする以前から、同原告の血圧は高かったのであり、同被告において手当をしたことにより、高血圧は常態に復したのである。また、原告らは高血圧のときに麻酔は禁忌とされている旨主張するが、同被告は局所注射をしたものであって、必ずしも禁忌とはされていないのである。原告らは、静脈瘤によっては、ブラウン・セカール氏半側麻痺にとどまる筈であり、一対の神経全部を麻痺させるとは考えられない旨主張するが、誤解である。脊髄内に故障がある場合にブラウン・セカール氏半側麻痺を考え得るのであって、本件の場合、脊髄外静脈瘤によって一対の神経全部を麻痺させたのである。更に、原告らは第四、第五腰椎間の静脈瘤の圧迫によっては障害部位は第四、第五腰髄神経の支配領域に止まり、下半身全部の障害が生ずる訳がない旨主張するが、脊髄は頸髄から仙髄まで一貫しており、脳から馬尾までの間に常に求心性および遠心性の神経刺激伝達があるのであるから、その途中の一部分が全層において障害されれば、それより末梢部分の麻痺が起こるのは当然である。第四、第五腰髄神経の支配領域の障害のみには止まらないのである。なお、原告らは、本件事故後三年余にしても麻痺はほとんど回復していない実情である旨主張するが、現在はステッキ一本で歩けるところまで回復しているのであって、椎弓切除術は十分意味があったのであり、これによって麻痺は回復したものといわねばならない。

2  脊髄出血について

原告らは、脊髄出血はまれな疾患である旨主張するが、極めてまれというのも脳出血に比較してのことであり、いずれの医書にも記載のある疾患であって本件がまさにこれに該当する。また、脊髄出血の原因として外傷、例えば背部や臀部を打撲するとか、重い物を持ち上げるなどの直接的間接的な外力による場合の外、脊髄血管腫の破裂も原因の一つであると考えられているところ、脊髄出血の原因は、通常外傷と考えられているが、それは過大視されているとの主張もあり、殊に、脊髄被膜出血と脊髄出血との鑑別は往々困難であって、発病時に激烈な疼痛があるときは脊髄被膜の出血を疑わせるのに対し、脊髄灰白質損傷症候殊に部分的知覚脱失があるときは脊髄出血殊に中心性脊髄出血を想像させる(なお腰椎穿刺を行い、脳脊髄液に血液を含むときは、脊髄被膜の出血である。)といわれており、本件の場合腰椎穿刺の結果、髄液に血液を見なかったから脊髄出血殊に中心性脊髄出血を想像させるのである。原告らは外傷等の原因が明確であることが診断の前提条件であるかの如く主張するが、外傷以外にも原因があることは前述のとおりである。被告裕の診断は慎重な診察の結果、腰髄出血による下半身麻痺であった。更に原告らは脊髄実質内での出血であれば疼痛は背部に生ずる筈であるのに、本件においては背痛の事実はない旨主張するけれども、医書に「背部」というときは、胸背部および腰背部を含むのであって、特に背部のうち胸部、腰部が区別されないときは単に背部と称する。したがって、本件のように腰背部の激痛がある場合は正に背部の激痛に当るというべきである。なお、リチャードソン・J・Cは特発性脊髄出血(外傷によらず自然に病気として発症するもの)の症例として三〇例を報告しており、その中には髄液が血性ではなくノーマルであったケースが二例報告されており、更に血管腫を原因とする脊髄出血の例が一例報告されていて(原告喜一には血管腫があった)、原告らが主張するほど稀有なものではない。

(被告らの抗弁)

仮に、被告裕において、本件診療債務の履行に当って、不完全な履行があったとしても、原告喜一の下半身麻痺は前述のような原因によって発生したものであるから、同被告が最善を尽してもなお発生したものというべきであり、同被告には責に帰すべき事由は存しない。

(抗弁に対する原告らの答弁)

否認する。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、被告らはいずれも医師であり、肩書地において高重医院を共同経営していること(但し、院長は被告重信であること)、原告喜一が昭和三八年四月一〇日午後五時ころ同医院を訪れ、被告裕に対し腰痛を訴えて診療を求め、同被告が診療をなすことを約したことにより右原被告間で本件診療契約が成立したことは当事者間に争いがない。しかして、≪証拠省略≫を総合すれば、原告喜一は同日午後五時ころ自転車に乗車中、突然胸内苦悶、呼吸困難ならびに両大腿部のしびれ感があったため、急拠、高重医院を訪れて受診するに至ったものであることが認められ、右事実によれば、原告喜一と被告裕との間において、患者である原告喜一の腰痛およびその他の諸症状の原因を医学的に適確に判断のうえ、これに対する適切な治療行為をなすことを目的とする準委任契約(診療契約)が成立したものと解するのが相当であり、医師である被告裕は右契約の本旨に従い、善良なる管理者の注意義務をもって治療行為をなすべき義務があったというべきである。

二、ところで、右診療契約締結後、被告裕が原告喜一の腰部に注射をしたこと(注射の部位、回数、方法等については後述のとおり争いがある)、注射後、同原告は高重医院に入院することになったこと、入院後翌朝に至り同原告の下半身が完全に麻痺していることが判明したことについては当事者間に争いのないところ、原告らは原告喜一の下半身麻痺は被告裕のなした注射行為に起因する旨主張するのに対し、被告らは同原告の下半身麻痺の原因は静脈瘤あるいは脊髄出血によるものである旨抗争するので、まず、同原告の下半身麻痺に至った状況およびその後の診療の経緯について検討する。

1  原告喜一の腰痛等諸症状の発生から本件診療契約締結に至るまでの経緯

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告喜一は、従前から胸、肩、背、腰部に慢性的な痛みがあり、かかりつけの富山市清水町の野島医院において、肋間神経痛あるいは筋肉リューマチ等の病名でしばしば治療を受けていたものであるが、前同日、勤務先の鉄工所に午前中だけ出勤し、午後から自宅で薪割りをするなどして過した後、知人に会うため自転車で自宅を出たところ、しばらくして暗渠にかかる木橋上で、自転車がガタンと揺れその直後から腰が痛み始め、その痛みは次第に激しくなった。そこで同原告は知人宅で一旦休憩しその痛みがいく分かやわらいだので、再び自転車で出かけた。ところが、間もなく、今度は以前にも増して激しい腰痛のみならず、両大腿部のしびれ感および胸内苦悶、呼吸困難等の諸症状を呈したため、自転車を付近の大野金属株式会社に預け、同所からタクシーで帰宅することにした。しかし、同原告の腰痛その他の症状は従前感じていた腰痛とは異質な非常に激しいものであったので、同原告は一刻も早く医師の診断を仰ぎたいと考えていたところ、乗車後間もなく、たまたま高重医院前を通りかかった。そこで、従前、同医院で受診したことはなかったのであるが、同医院で診療を受けるべくタクシーを降り、同医院前道路から玄関まで約一五メートルの距離を辛うじて歩いて行ったが、玄関でうずくまってしまった。そして助けを求めたところ、同医院看護婦中坪嘉代子が玄関に飛び出して来て、同原告を認めるや、直ちに同原告に肩を貸し、抱きかかえるようにして受け付けもせず診察室に導き入れ、ベッドに寝せた。そこで、同原告は診察室にいた被告裕に腰痛等を訴えて診療を求め、同被告もこれを承諾した。

≪証拠判断省略≫

2  本件診療契約締結後、原告喜一の下半身麻痺が判明するに至るまでの経緯

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

本件診療契約締結後、被告裕は直ちにベッドに仰臥位となっている原告喜一の診察を始めた。同原告はしきりに腰痛を訴え、顔面蒼白、歩行は両大腿部疼痛のため辛じて可能であったが、意識は明瞭であったので、同被告はまず前記諸症状の発生時の状況を尋ねたところ、同原告は、「自転車に乗車中、突然胸が苦しく、息も苦しくなり、しかも腰から両大腿部にかけて激しい痛みと同時にしびれる感じがあったので診察を求めた」旨答えた。そこで、同被告は原告喜一の右上肢肘窩動脈で血圧を測定してみると、最高値二二〇ミリメートル最低値一二〇ミリメートルであり、当時の同原告の年令(五二才)から考えて、かなりの高血圧を示し、膝蓋腱反射については両足とも最初は非常に亢進したが、すぐに消失してしまった。同被告は更に検査を続けようとしたが、同原告がこの間も絶えず痛みを訴え続けるので、同被告は病因追求のため他の検査をするには、ともかく激痛を止める必要があると考え、鎮痛のため局所注射をすることにした。そして看護婦の介助を得て同原告を伏臥位にすると、同原告の腰背部および臀部を露出し、打腱器で脊椎棘突起部の胸椎下部から腰椎、仙椎にかけて叩打し、特に痛い部位を探ろうとしたが、同原告はただ痛みを訴えるばかりであった。同被告が脊椎棘突起の両側部分に圧痛点がないか調べたところ、第二、第三腰椎椎間部の棘突起から両側約四センチのところに筋肉の硬結の触れる部分があり、その部分に一番強い圧痛点が認められた。そこで、同被告はその圧痛点二ヵ所に三センチの注射針で一パーセント塩酸プロカイン溶液を二・五CCあて注射した。ところが、右注射後、同原告を再び仰臥位にして、他の検査を続けた結果、膝蓋腱反射、アキレス腱反射はいずれも両足とも消失し、バビンスキー反射はプラス、マイナスすなわちの背屈はあるが、他の四の開扇現象はないという反応、また、膝の屈曲、足首の運動等の自発運動は不可能、更に、知覚能力については針を用いての検査において触覚がわずかにある程度で、全体として両下肢の運動神経、知覚神経ともに麻痺した状態であることが認められた。被告裕は、同原告に右のように腰痛、高血圧、両下肢麻痺の症状があることから、まず血圧を下げる必要があると考え、血圧降下剤メトブロミン一CCおよび精神安定剤二・五パーセントウインタミン二CCをいずれも皮下注射した。しかし、同原告の右の症状では到底帰宅できる状態ではなく、また、同原告の麻痺の原因が不明確であったので、同被告は右下半身麻痺の原因を解明するため、更に精密検査をなす必要性がある旨告げて入院を勧めたところ、同原告もこれを承諾したので、同原告は即日高重医院に入院することになり、同原告は一階の診察室から担架で二階の病室に移され、その旨家族に連絡された。同被告はその後、病室で同原告に対し第三、第四腰椎椎間部において腰椎穿刺を施行し、検査のため脳脊髄液(以下髄液という)を採取した外、同原告に出血の可能性もあると考えて、止血剤アドナ五CCを静脈注射し、また、興奮状態で眠れないことを考慮して睡眠薬二〇パーセントフェノバール一CCを皮下注射した。その後で血圧も測定したが特記する程の値でもなかった。そして、翌一一日朝になって、同原告は排尿は不能、便はたれ流しの状態であり、下半身は完全に麻痺していることが判明した。

(二)  以上認定の事実が認められるところ、原告喜一は、被告裕が同原告の腰痛の訴えに対し何らの診察をすることなく、同原告を側臥位にさせたうえいきなり同原告の腰椎部に二・五ないし三寸位の長さの注射針を刺入して薬液を注入した旨原告ら主張の事実に副う供述をしているけれども、右供述部分は、≪証拠省略≫および鑑定の結果に照らしてにわかに措信できない。却って、前掲各証拠を総合すると次の事実が認められる。すなわち、

(1) 原告ら主張の注射方法は腰椎穿刺による腰椎麻酔の方法であると認められるところ、腰椎麻酔とは腰椎穿刺を行って脊髄硬膜内に麻酔薬を注入し、神経根に作用させて下半身の知覚および運動麻痺を起こさせる麻酔方法であって、虫垂炎手術、ヘルニア手術その他下肢の手術等にしばしば用いられるものであること、

(2) 腰椎麻酔を行うには、患者を側臥位としできるだけ身体を前屈させ、所要の麻酔範囲に応じて第二腰椎ないし第五腰椎間の所要の椎間に腰椎穿刺針を刺入するのであるが、その穿刺椎間の高さを定めるにはヤコビ(Jacobi)測定法すなわち左右腸骨稜最高点を結ぶ線上に第四腰椎棘突起を探し、これを基準として穿刺部位を選定するという方法がとられ、同部位に腰椎穿刺針を刺入のうえ麻酔薬液を注入するものであるところ、その施行に当っては、穿刺針の十分な滅菌消毒はもちろん、患者の穿刺部位の消毒および施行者の手指の消毒等について通常の注射以上に厳密になすべきことが要求されているほか、腰椎穿刺後は頭痛、背痛、めまい、嘔吐等の副作用が起こることがあること、腰椎麻酔後直ちに動いた場合、局所に効かせようとした薬液が散って効果を発揮できないおそれがあること等の理由で、一般的には外来患者に対し診察室において腰椎穿刺を行なう例は極めて少ないこと、なお、麻酔効果は薬液注入後五分ないし一〇分間で表われ始め、一・二時間持続するものであること、

(3) しかして、被告裕は、腰椎麻酔を虫垂炎その他下肢の手術に際してしばしば行ってきたが、髄液採取又は腰椎麻酔の目的で腰椎穿刺を診察室で行うことはないので、腰椎穿刺針を診察室に置いていなかったこと、

(4) さらに原告喜一が被告裕の診察を受けたのは当日が初めてで、注射後、入院することになったものであり、右注射も一時同原告の腰痛を止める目的でなされたものであるところ、右注射の際、同原告は疼痛が激しく、診察治療に当る医師の行動を冷静に観察する余裕などなかったものと推認できるところ、右注射は同原告の背部になされたものであるから、同原告自身、注射の部位、注射針の長さ等を正確に知ることは不可能であること。

以上の事実が認められ、他に原告ら主張の事実を認めるに足る証拠は存しない。

(三)  ところで、原告らは、前記診察室における腰部注射の際、原告喜一は脚部に電気が流れるようなショック(以下下肢放散痛という)があり、その後、臍のあたりから足先にかけてぬるま湯が流れるように感じたので、その際右注射のため下半身麻痺に至ったものである旨主張し、原告竹内喜一もこれに副う供述をしているので、以下この点につき検討する。

(1) ≪証拠省略≫および鑑定の結果によれば、原告主張の下肢放散痛およびぬるま湯が流れ落ちる感覚は、通常異なった操作に際して訴えられるものであるので、二つに分けてその意味を考えてみる。①下肢放散痛に関してしばしば遭遇するのは、腰椎穿刺を施行するに当って、針が硬膜を穿通するとき、あるいは針が硬膜より分岐する腰神経根に触れたとき、あるいは硬膜内で馬尾神経に触れた場合(この訴えは腰椎穿刺の際の針先の位置の推定に利用される所見でもある)、および傍腰椎軟部への刺激によって惹起される場合である。については、いわゆる坐骨神経痛患者において腰臀部の圧痛点を圧迫等により刺激すると、該部の疼痛のみならず下肢への強い放散痛として感じられることがしばしばあり、これは同一の神経根あるいは同一の脊髄髄節に支配される二ヵ所の異った体部の一方を刺激すると、刺激点からはなれた他方に疼痛等の関連症状を惹起する現象で、いわゆる関連痛として認められているところである。日常の治療においても腰筋部、筋膜部の圧痛点に治療上注射針を刺入する場合、下肢への放散痛の訴えられることがあるが、これは該部が下肢に分布する腰、仙神経と同一の神経根に属する神経枝によって支配されていることから容易に理解しうるところである。次に、②ぬるま湯が流れ落ちるような感覚に関しては、この感覚に下肢の運動および知覚障害が伴うか、あるいは続発した場合には何らかの原因によって急激に発症した脊髄麻痺の自覚的症状と考えるのが妥当であり、日常最もしばしば遭遇するのは腰椎麻酔の施行時、麻酔薬の硬膜内注入を受けた際の患者の経験として語られる場合、および急激に発症した脊髄麻痺の場合であり、脊髄出血による麻痺などがこの場合に当る。したがって、このような感覚は単に針の刺入のみによってはたとえより高位の脊髄実質内に針を刺入したとしても、通常は起こり得ないものである。

(2) そこで、これを本件についてみるに、前記認定のとおり、被告裕は診察室において原告喜一の第二、第三腰椎椎間部の棘突起から両側約四センチの筋肉硬結部の圧痛点に注射を行ったのみで腰椎穿刺又は腰椎麻酔を行っていないものであるところ、この場合に同原告が下肢放散痛を感じたとすれば、それは前記の下肢放散痛を感じ得る場合のうちの腰椎穿刺によるものではなく、の腰筋部、筋膜部の圧痛点への刺激により、いわゆる関連痛として生起した可能性があること、また、同原告が下肢放散痛に続いて「ぬるま湯が流れ落ちるように感じた」との点については、の麻酔薬の硬膜内注入によって生起したものでないことは明らかであり、むしろの急激な脊髄麻痺の状態に陥って起ったものと考えるのが相当である。

(四)  更に原告らは、被告裕のなした注射液につき、一パーセント塩酸プロカイン溶液以外の鎮痛剤等不適切な薬品が用いられたものであり、診療録のうち「一パーセントノボカイン(一パーセント塩酸プロカインと同義語)二・五CC×二」なる記載は、後日追加した疑いがある旨主張するけれども、右原告らの主張を証するに足る資料は存せず、結局右主張はいずれも原告らの推測の域を出ないものというべきである。したがって、本件において、被告裕が原告喜一の腰部注射に使用した薬液は被告ら主張のとおり、一パーセント塩酸プロカイン溶液であったと認めるべきである。

3  高重医院に入院した翌日以降の原告喜一の容態および診療の経過

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  高重医院に入院後、同医院を退院するまでの経過

(1) 入院の翌日(昭和三八年四月一一日)の原告喜一の症状は、膀胱直腸障害があって排尿は不能、便はたれ流し、頭重感甚しく、両側そ蹊部から足先までほとんど全域にわたり、知覚および運動神経が麻痺し、バビンスキー反射は陽性であった。これらの症状に対し、被告裕は膀胱にカテーテル(ゴム管)を挿入しそのまま留置して導尿し、便については抑制の方法をとり、前日に引き続き止血剤アドナ五CCを静脈注射した。そして、この日に梅毒反応検査のため血液採取し、前日採取した髄液とともに県立中央病院検査科へ検査のため提出した。

(2) 翌四月一二日、原告喜一は引き続き頭重感を訴えていたが、食欲は良好で、導尿は続けていた。当日の治療行為としては、引き続きアドナ五CCの静脈注射の外、降圧剤としてロンチル二錠とレセルビン〇・五グラム、健胃散一・五グラム、通じ薬一・五グラム、神経賦活剤ガンマロン九錠(二日分)を投薬した。

(3) 四月一三日から一六日までの間、原告喜一には特筆すべき症状の変化はなく、一二日とほぼ同様の投薬治療をなし、絶対安静を命じてきたが、一三日には浣腸および膀胱炎防止のための膀胱洗滌を行ったほか、血沈検査、血圧測定を行ったところ、血沈は一時間三六ミリメートル、二時間七四ミリメートルで正常より促進しており、血圧は最高値一六〇ミリメートル、最低値九〇ミリメートルで、正常値よりやや高血圧を示していた。また、一四日には検尿したが結果に異常は認められず、一五日にも血圧を測定したが、特記すべき値を示していなかった。なお、一六日は原告喜一が不眠を訴えたので、睡眠薬を投与した。

(4) 四月一七日まで、被告裕は原告喜一の病状に特別の変化が認められなかったので、同原告を二階の病室から一階レントゲン室まで看護婦に担架で運ばせたうえ、レントゲンで腰椎正面および側面を四つ切りフィルムで一枚ずつ計二枚、胸部を正面四つ切りフィルムで一枚それぞれ撮影した。その結果、胸部には結核性の病巣はなかったが、腰部については第二、第三腰椎椎体部および第五腰椎椎体部から椎弓部にかけて変形があり、特に第五腰椎椎体部から椎弓部にかけて破壊されたような形状を呈しているとの所見が得られた。

(5) そして同月一八日には、梅毒反応検査および髄液検査の結果が判明した。梅毒反応は陰性であり、髄液検査の結果は一立方ミリメートル中の細胞数七個、赤血球数三〇個であった。なお、髄液は同月一〇日に採取したものであるが、採取時の外見は、正常の髄液とほとんど変りなく、混濁もなく、また血性も呈していなかった。

(6) 以上の経過および各種検査の結果からみて、被告裕は原告喜一の両下肢の麻痺が腰椎部あるいは腰髄部に原因があると推定し、また、それまでの間も「腰髄出血の疑い」ありとの考えから主としてそれに対応する治療を施してきたのであるが、明確な疾患名を把握できなかったので、むしろ専門医である整形外科医の診断を受ける方が適切であろうと考え、整形外科病院を開業している西能正一郎医師の対診を求めることとし、原告喜一も承諾のうえ、同月一八日夜、同医師の診察が行われた。

(7) 西能医師は原告喜一を診察し、被告裕から提供された諸検査結果を検討した結果、脊髄造影術(ミエログラフィー)等を施してみないことには明確な診断が下せないから、同医師の病院へ同原告を移して更に検査したい旨申し出たので、同被告は同原告に対し西能病院への転医を勧め、同原告もこれを承諾したので、翌一九日、右病院へ転入院した。

(二)  西能病院での治療の経過

(1) 西能病院へ入院の翌日(昭和三八年四月二〇日)、西能医師は原告喜一の腰部レントゲン写真を四枚撮影して麻痺の原因を追究した。しかし、レントゲン写真によって腰痛の原因となり得る第三ないし第五腰椎に変形性腰椎症の像が認められたが、右は麻痺の原因となる可能性はほとんどなく、結局、その原因を把握することはできなかった。そこで、同医師は同原告に対し、更に脊髄造影術を施した結果、第四、第五腰椎椎間部に通過障害のあることが認められ、他には病変部を認めることができなかったので、右通過障害の部位が急性の両下肢麻痺を起こした部分であろうと推定し、椎弓切除術を行うことに決定し、原告喜一およびその家族もこれを承諾した。

(2) そこで、同医師は同月二二日に椎弓切除術を施行した。右施行に際しては、腰椎の真中を切開し第三ないし第五腰椎の椎弓を切除し硬膜表面の脂肪をとり除いたところ、第四、第五腰椎のほぼ中間部に累累としたキャビア状の静脈の固まりが認められ、その部分から末梢にかけて搏動が認められなくなっていたのでその静脈の固まりを掻爬したうえ止血の処置をとり、止血後、硬膜を縦に切開して中の状況を観察したが、神経線維がいく分か充血しているほかほとんど所見はなかった。右手術には被告裕もこれに立会った。

(3) その後、原告喜一は昭和三九年四月二二日まで同病院に入院し、胃潰瘍のため一旦退院して富山市民病院でその手術治療を受けた後、同年五月二一日再度、西能病院に入院し、翌四〇年三月二九日に同病院を退院したが、この一、二回の入院を通じて、当初は手術部の疼痛、ギブスベッドに寝たきりであることから生ずる身体各所の痛み、下肢のしびれ感、排尿排便が思うようにできないことによる苦痛、腸管麻痺による苦痛等のため、苦しい期間が続いたが、昭和三八年八月五日ころには食欲良好となり、同月一四日ころに足の痛みを感じ両方の腱反射が亢進して、神経麻痺回復のきざしが見え始めた。そこで、リハビリテーションに移り、同年一〇月には自力で坐ることができるようになったが、このころに褥瘡ができた。そして一二月には物に掴まれば立つことができ、歩行機で歩けるようになった。次いで松葉杖、最後にステッキによる歩行訓練に移り、ステッキで歩けるところまで回復した。なお、この間、マッサージ、温浴マッサージも行ったが、下半身麻痺の状態は完全には治癒しないまま退院した。

4  以上、原告喜一の発病から下半身麻痺の発生およびその後の状況、治療の経緯につき認定したところによると、同原告は昭和三八年四月一〇日午後五時ころ、自転車に乗車中、突然に胸内苦悶、呼吸困難等の症状を伴った激しい腰痛および大腿部のしびれ感に襲われ、意識は明瞭であるが歩行も困難な状態となったので、急拠、高重医院を訪れて被告裕の診療を受けるに至ったのであるが、同被告が診察の後、同原告の腰部圧痛点二ヵ所に腰痛をとめるため、一パーセント塩酸プロカイン溶液を二・五CC宛局所注射したところ、その直後ころに完全な脊髄横断麻痺に陥り、直腸膀胱障害も発生したこと、その後、西能病院に転院し、椎弓切除術を受けるなど治療を重ねた結果、同年八月ころには全く消失していた反射機能が亢進し始めて、弛緩性麻痺から痙直性麻痺にかわり、神経麻痺回復のきざしが見え始めたこと、そしてリハビリテーションにより、現在はあまりうまくはないが独歩可能な程度にまで回復したことが認められる。

三、右事実よりすると、原告喜一の下半身麻痺は被告裕による腰部への局所注射の直後ころに発生したものと推認できるので、右注射によって麻痺が発生したのではないかとの疑いもなしとはしない。そこで、右注射と本件麻痺との間に因果関係が存在するか否かについて考える。

≪証拠省略≫を総合すると、塩酸プロカイン溶液は非常に安定した薬品であって、局所麻酔薬としてのみならず、一ないし五パーセント溶液として腰椎麻酔の目的で脊髄硬膜内に注入され、その麻酔効果は通常一ないし二時間持続するが、永続的麻痺を生ずる危険性は少ないこと、傍脊柱部の圧痛点に塩酸プロカインを注入することによって、下半身全域の永続的麻痺を来す危険性もないこと、腰部注射によって下半身麻痺を生じ得る条件として考えられるのは、、少くとも腰椎穿刺針程度の長さの針を用いて、ほぼ正中線に近い部位より刺入して馬尾神経部に進入し、かつ不適当な薬物を注入した場合、もしくは、、右と同様の針を用いて第一腰椎高位より頭側の脊髄実質内に刺入し、ここに同様の薬物を注入するか、もしくは、、右と同様の針を用いて適切なプロカインが誤って脊髄腔内に注入され、かつ患者がすでに重大な中枢神経系疾患を有していた場合のいずれかであることが認められるところ、本件においては前記認定のとおり、三センチの長さの注射針によって傍脊柱部の圧痛点へ注射がなされたのであるから、右注射によって永続的麻痺を生じたとは考えられず、仮に腰椎穿刺針程度の長さの注射針によって腰椎部へ注射がなされたとしても、前記塩酸プロカイン溶液以外の不適当な薬物が用いられたことを認めるに足る証拠は存しないのであるから、右のうち、の場合に該当する可能性はなく、また、原告喜一において、既に重大な中枢神経系疾患を有していた事実は認められないのであるから、に該当する可能性もないというべきである(なおこの点につき、被告らは、同原告には血管腫が存した旨主張しているが、後記のとおり、それは静脈瘤であって、血管腫ではないから、問題となり得る中枢神経系疾患とはならないものと解する。)。してみると、被告裕のなした腰部注射によって本件のような下半身麻痺が生じる可能性はない。

四、そこで、進んで本件麻痺の原因について被告らの主張にそって検討を加える。

1  本件麻痺が静脈瘤により発生した可能性について

(一)  前記認定のとおり、原告喜一の下半身麻痺後、西能医師が同原告を診断して脊髄造影術を施したところ、第四、第五腰椎椎間部に通過障害のあることが判明したので、同医師は昭和三八年四月二二日椎弓切除術を施した結果、第四、第五腰椎椎間部(但し、≪証拠省略≫によれば原告喜一には生来第五腰椎がないという異常のあることが認められるので、上記の第四、第五腰椎間とは、同原告の場合、正確には第三、第四腰椎間を意味するものと解する。)に累累としたキャビア状の静脈の固まりを発見したので、同医師はこれを掻爬の後手術を終了した。

(二)  しかして、≪証拠省略≫および鑑定の結果を併せ考えると、右にいうキャビア状の静脈の固まりは静脈瘤でその形状からみて、急速に発生したものでなく、かなりの期間にわたって存在したと考え得るところ、腰椎部硬膜外の静脈瘤の臨床症状に関するいくつかの報告において原因に関する論議は別として、その臨床症状はいずれも静脈瘤による神経根圧迫によって起こった疼痛症状が主体であり、たとえ、それに麻痺症状が伴うとしても、本件のように極めて短期間に非可逆性の完全麻痺を生じた報告はないこと、静脈瘤の発生には全身的素因の外、局所にうっ血を来す種種の原因(炎症性浮腫等)が考えられているが、硬膜外から硬膜内の全馬尾神経を圧迫して、同神経の非可逆的変化を起こさしめるほど急速な形態学的発育あるいは努張を来すとは考え難いこと、馬尾神経部(たとえば第四、第五腰椎間の高位)の圧迫で起こる圧迫性麻痺では、たとえ回復過程といえども下肢の痙直性麻痺を呈することはあり得ないと考えられるところ、原告喜一の麻痺症状は前記のとおり、最初は完全な弛緩性麻痺を呈したが、数ヵ月後にははっきりした痙直性麻痺を呈して来ていることが認められるから、静脈瘤が腰痛あるいは下肢へ放散する坐骨神経痛の原因となることはあり得ても、短期間に本件のような非可逆性の完全麻痺を来す可能性はないものというべきである。

≪証拠判断省略≫

(三)  したがって、原告喜一の下半身麻痺の原因が静脈瘤であるとは到底認められず、この点に関する被告らの主張は採用できない。

2  本件麻痺が脊髄出血により発生した可能性について

(一)  ≪証拠省略≫および鑑定の結果を併せ考えると、次の事実を認めることができる。

脊髄出血(いわゆる脊髄卒中)は、一般に脊髄血管に硬化のある人に血圧亢進が加わって起こるもので、体動の変化又は身体過労後に、疼痛あるいは高血圧等の症状を前駆として下半身の完全麻痺が突発するものである。その原因は心臓、肺疾患のためうっ血を起こすときに発生することもあるが、最も多いのは脊髄の激動のため血管が破烈するもので、多くは外傷による。すなわち、背部打撲、重い物の挙上、落馬、高所からの落下等の際に臀部をつき上げられるとき、あるいは頭部を前方に強く屈曲させるときに起こることがある外、脊髄腫瘍、脊髄炎または流行性脳脊髄膜炎の際に往往続発性症状として毛細管性出血が脊髄に見られることがある。更に、全身性出血性素質があるとき、たとえば、白血病、壊血病、重症伝染性疾患等において脊髄出血を来すことがある。しかして、脊髄出血の特色は脊髄出血が突発することで、その症状は出血の形状、部位により様様である。横断面出血が腰髄または胸髄に発生するときは、強い腰痛または背痛を訴えた後、俄然、両脚の対麻痺を生じ、更に両脚の知覚脱失も加わる。腱反射は初期には減弱または消失し、後には却って亢進する。ただし、出血により腰髄が破壊され、膝蓋腱反射弓が断絶するときは膝蓋腱反射は恒久的に消失する。腰髄最下部の膀胱および直腸の中枢が侵されると、膀胱および直腸麻痺を起こし、胸髄に横断面出血があれば、一定時期後初めて膀胱および直腸の麻痺症状を呈する。膀胱炎、腎盂炎、尿路性敗血症および褥瘡等はその続発症状である。脊髄出血の経過は概して良好であって、麻痺症状は漸次回復し、治癒、軽快または進行を停止する。

(二)  そこで、これを本件の麻痺について検討してみる。

前記認定の原告喜一の発病時およびその後の状況のうちから原告喜一の特徴的な症状を挙げてみると、次のとおりである。

発病時、同原告は激烈な腰痛に襲われ、胸内苦悶、呼吸困難、両大腿部のしびれ感があったが、意識は明瞭であり、被告裕の診察によれば、血圧は最高値二二〇ミリメートル、最低値一二〇ミリメートルとかなりの高血圧を示し、また膝蓋腱反射は最初は非常に亢進したがやがて消失した。そしてなおも強く腰痛を訴えるので、前記注射をしたところ、関連痛としての下肢放散痛があり、続いて臍から下へぬるま湯が流れるように感じた途端、両下肢の麻痺感が生じ、現に、バビンスキー反射、膝の屈曲、足首の運動等の自発的運動能力、知覚能力等の検査によってもいずれも両下肢の運動神経、知覚神経ともに麻痺状態であることを示していた。更に、直腸、膀胱障害も発生した。その後、高重医院、西能病院で治療を続けたところ、約四ヶ月後に両方の腱反射が亢進して神経麻痺回復のきざしが見え始めたが、更にその二ヵ月後に褥瘡も発生した。しかし、この頃からリハビリテーションにより徐徐に運動機能が回復し始め、現在では杖なしで歩行が可能になった。なお、発病時の医学的な諸検査の結果によれば、髄液は正常なものとほとんど変わりがなく、混濁もなく、また血性を呈してもいなかったが、一立方ミリメートル中の細胞数は七個、赤血球数は三〇個であり、梅毒反応は陰性、血沈は一時間三六ミリメートル、二時間七四ミリメートルで正常より促進しており、発病後三日目に測定した血圧値は最高値一六〇ミリメートル、最低値九〇ミリメートルで、やや高かった。更に、検尿結果に異常はなく、レントゲン所見では、第二、第三腰椎椎体部および第五腰椎椎体部から椎弓部にかけて変形があった。

以上を要するに、原告喜一の初期症状は腰痛を前駆症状として下半身の完全麻痺が突発的に発生したが、これに先立つ発熱等の全身症状はなく、意識が常に明瞭であったというべきところ、麻痺回復の過程は、当初の完全な弛緩性麻痺が約四ヵ月後から痙直性麻痺に転じ、そのころからリハビリテーションにより徐徐に運動機能が回復し現在では杖なしで独歩可能な程度にまで回復したが、麻痺直後に生じた膀胱、直腸障害は依然として残り、また、麻痺の半年後には褥瘡も発生している。

以上の特徴的症状に、当時、原告喜一は高血圧であったことおよび同原告の年令を併せ考えると、右各症状は、前記脊髄出血の特徴に符合するものというべく、同原告の下半身麻痺の原因は脊髄出血であったと認めるのが相当である。(もっとも、前掲各証拠によれば、麻痺直後に採取した髄液は混濁もなく、血性あるいはキサントクロミーをおびていず、また髄液中の赤血球数も一立方ミリメートル中三〇個にすぎず、血性をおびるに要する三六〇個には非常なへだたりのあること、脊髄出血の場合、一般には髄液は血性ないしキサントクロミーを呈すること、および外傷によらない脊髄出血は稀有であって軽軽にその診断を下してはならないものであることが認められるけれども、≪証拠省略≫および鑑定の結果を併せ考えると、脊髄出血というも、出血部位については種種の想定をなし得るところ、脊髄硬膜内での出血の場合、髄液は明らかな血性を呈するが、脊髄実質内に分布する血管が破れた場合、脊髄は広く破壊されるけれども、髄液中に血液がまじることは比較的少ないこと、脊髄出血を起こした後長時間を経過して髄液を検査した場合には血性をおびることが比較的多いが、直後に検査した場合、出血の反応が直ちにあるとはいえないので、必ずしも血性を呈するとは限らず、出血があったとしても硬膜内出血か実質内出血か明らかにならない場合が多いことが認められ、また、J・クリフォード・リチャードソンの報告によれば、外傷によらない脊髄出血(突発性脊髄出血)の例として三〇例が報告されており、うち二例については髄液はノーマルであったことが報告されているところ、原告喜一の髄液は下半身麻痺の直後に採取されたものであるから、同原告の髄液が血性をおびていなかったとしても出血がなかったことの証左とはなりえず、また前記の同原告の特徴的症状を考えるならば、突発性脊髄出血が稀有であるとの一事によって、同原告の下半身麻痺の原因が脊髄出血でないとはいえない)。

以上のとおり原告喜一の下半身麻痺は脊髄出血によって生じたものと認めるのが相当であるので、更に右脊髄出血を惹き起こした原因について検討する。

前記認定のとおり、外傷によらない脊髄出血の場合は、体動の変化又は身体過労後に疼痛あるいは高血圧等を前駆として下半身の完全麻痺が突発することが認められるところ、本件において、原告喜一には外傷はなく突然に下半身麻痺が発生したのであるが、右発生の時期は被告裕による腰部注射の直後ころと推認できるので、右注射によって下肢放散性の疼痛が生じ、その際の努嘖が脊髄出血の誘因となった可能性は否定できない。しかし、原告喜一は本件当日薪割りをした後自転車で出かける途中、暗渠で自転車が大きく振動した直後から腰痛が始まり、次第に激しくなって耐えられなくなり近くの高重医院を訪れたが、来院時、既に両大腿部のしびれ感のため歩行困難となり、血圧も異常に高く、腱反射もすぐに消失したことが認められ、この事実からすると、原告喜一は、薪割り等により身体疲労の後、自転車に乗車中、強い振動により臀部がつき上げられた形となり、そのことが誘因となって脊髄出血を惹起し、来院時、既に脊髄出血が発生していた可能性についても、これを否定し去ることはできない。結局、原告喜一の脊髄出血の誘因は、注射時の努嘖かあるいは自転車搭乗中の振動かそのいずれかであると考えられるが、本件に顕われた全資料によってもそのいずれか、にわかに断定できない。

仮りに、後者であれば、原告喜一の下半身麻痺と被告裕の治療行為との間には全く因果関係がないというべきである。

五、もし、注射時の努嘖が脊髄出血の誘因になったとすれば、その点につき、被告裕に債務不履行の責任を問い得るか否かについて判断する。

原告らは、被告裕の注射の方法が不手際であったため原告喜一に苦痛を与え努嘖を生じさせた旨主張するけれども、前記認定の事実によれば、同被告が行った傍脊柱腰椎部圧痛点への局所注射は、腰部注射のうちでは安全なものであって、通常ならば右注射により下半身の麻痺を来すことなど考えられないこと、右のような注射によっても下肢放散性の疼痛を生ずることはしばしばあるのであって、注射技術の巧拙によって生ずるものではないこと、同被告は同原告の諸症状の原因追究のための諸検査をしようとしたが、当時の同原告の腰痛が激烈であって検査をなしうる状況になかったので、ともかくも痛みを止める必要があると考えて右注射をなしたものであることが認められる。

してみると、本件において、被告裕の注射方法が不手際であったとはいえないし、同被告は、右注射により原告喜一に脊髄出血を生じ、更に下半身が完全に麻痺することなど、当時の状況から考えて到底予見することはできず、また、そこまで予測したうえで右注射をなすべき義務はなかったものというべきである。したがって、仮りに右注射を契機として脊髄出血を生じたとしても、そのことは被告裕にとっていわば不測の事態であるから、脊髄出血を来したことについて、同被告の責に帰すべき事由は存しないものといわざるをえない。

なお、原告喜一の入院後の治療行為および西能病院へ転入院させたこと、いずれの経過を見るも、同被告において本件診療契約上の義務違反行為を認めるに足る証拠はない。むしろ、前記認定事実からすれば、被告裕は、原告喜一が入院後、下半身麻痺等の諸症状について、「腰髄出血の疑いあり」との診断のもとに、血圧降下剤、止血剤等を投与する一方、再出血等の危険を防止するため絶対安静を命じ、一週間病状に特段の変化がなかったので、初めて二階病室から一階レントゲン室に担架で運ぶなど細心の注意を払って、同原告の治療に当り、また適切に膀胱、直腸障害等に対する手当を行い、腰髄部の疾患につき専門医である西能医師にその後の治療を委せる等、医師として善管注意義務を尽したものというべきである。

以上いずれの点から見ても、同被告に診療契約上の義務に違反した行為があったとは認められないから、同被告に債務不履行の責任は存しない。

六、次に原告らは、第二次的に被告らの不法行為責任を主張するのでこの点につき判断する。

一般に医師は、治療のための注射に際しては、注射器具、注射部位、施術者の手指等の消毒を完全にし、注射薬の選定に当ってはその品質、注入量を確認し、誤って他の薬品や不良の薬品を用いることのないように注意し、また、注入に当っては安全部位以外に行わないように注射部位を選定し、刺入の際に神経線維を傷つけたりすることのないように配慮してこれをなすべき義務があるというべきところ、原告らは、被告裕の原告喜一に対する腰部注射の際に同被告は右の注意義務を怠って慢然と塩酸プロカイン溶液以外の薬品または不良の塩酸プロカイン溶液を用いたか、または消毒不完全な注射針を用いて注射をした過失がある旨主張する。しかし、すでに認定したとおり、同被告は注射液として一パーセント塩酸プロカイン溶液を使用したものであり、≪証拠省略≫によれば、高重医院で用いる塩酸プロカイン溶液は自家製造をしているが、その製造に当っては細心の注意を払い、一度に五〇〇CC程度を製造し、ほぼ一週間でこれを使いきるので、汚染のおそれはないこと、注射針の消毒については一五分間の煮沸消毒を行い、一人の患者に一度用いたものを二度用いることはないこと、本件当日の注射に際しても消毒された注射器、注射針を使用したことが認められるから、原告ら主張のように塩酸プロカイン液または消毒不完全な注射針を用いた可能性は認めがたい。原告らの右主張は、いずれも推測の域を出ず、他にこれを認めるべき証拠も存しない。

更に原告らは、被告裕は、もっとも危険な注射部位を選んで腰椎部に注射した過失がある旨主張するけれども、前記認定のように、被告裕は診察室における注射の際に注射の部位として、傍脊柱部の圧痛点を選定して注射したことが認められるから、腰椎部に注射をしたことを前提とする原告らの主張はそれ自体失当というべきであり、注射部位の選定について過失があったとする原告らの主張もまた採用できない。

したがって、被告裕に本件注射時の過失行為があったとは認められないから、不法行為を原因とする原告らの第二次的請求も理由がない。

七、以上の次第で、原告喜一の下半身麻痺につき、被告裕に責任があることを前提とする原告らの被告らに対する請求は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

よって、原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 土田勇 裁判官 矢野清美 佐野久美子)

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